1988年、福井県福井市で生まれました。
福井県立大学看護学科卒業後、福井大学病院産婦人科、舞鶴共済病院総合内科で、計5年間看護師としての経験を経て、自身の出産後、産後指導士の資格を取得、リハビリ型産後ケアの普及をしています。
28歳で長男を出産したときのこと。
妊娠中はつわりがひどく、大好きだった看護師の仕事を退職。妊娠中は、寝たきり生活が続き、筋力が落ち、一時期は介護が必要な体になりました。十分に回復しないまま出産を迎え、安産ではあったものの、産後の心身の不調に悩みました。
産後間もなく、夫の転勤で石川県金沢市に引っ越したあと、夫は仕事が忙しく、頼る人が誰もいない中での子育て(孤育て)を経験。
わたしがこの子を守らなきゃという責任感の強さから、何もかも1人で頑張ったためか、心身の不調が続きました。
「どうして私はこんなに辛いの?こんなに辛いのはあなたのせい。」と思うようになり、
「夫も社会にも見捨てられた。もう消えてしまいたい」と、そんな気持ちになったことを今でも覚えています。
そんな時に、産後指導士の産後ケアに出会い、運動を行うことで体の不調は改善され、「母とはこうあるべき」という呪いのようなものも取っ払われ、本来の自分を取り戻すことができました。母親である喜びや、1人の女性として生きることの楽しさを感じ、未来への希望を持ちながら生活できるようになりました。
この日本に出産後の母体のリハビリが不足していることにも気づき、同じように苦しむお母さんの力になりたいと「産後ケアの専門家」産後指導士の道へ。
令和元年から現在に至り、産後ケアの普及啓発活動に努めています。
石川県金沢市では「ようこそ産前産後ケア〜パパママ学級〜」を立ち上げ、行政と連携しながら産後ケアを普及。「出産したすべての女性に産後ケアを」の実現に向け、国へのアプローチも進めてきました。
令和4年5月に京都府舞鶴市に拠点を移し、Ladies care studio WATASHIをオープン。
産後女性へ産後ケアをお伝えするのと同時に、思春期から更年期そしてシニア世代の女性の健康のサポート、誰もが自分らしく生きることのサポートを行っています。
京都府舞鶴市では市民団体「産前・産後 わたしの健康づくり ままいろ」を立ち上げ、誰でも産後ケアを出会える社会を目指し活動中。
令和5年からは、社会全体に向け産後ケアの必要性を発信するため「少子化対策を考える」をテーマに、子育て世代以外への啓発のため、講演活動をスタートさせました。
また、親になる前の健康教育として中学校・高校・大学にて「包括的性教育」の普及に努めています。
「自分」を大切に。
誰もが自分らしく生きることのできる世の中になることを願って。